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【みなみうら奮闘記vol.9】一周目のふりかえりと次回に向けて 

2024.10.11

南浦 涼介(広島大学)

まずはお詫びから…

8回目まで出て9回目が出ない……。1シーズン最後の最終回がなかなか出ない事件を起こしてしまっていた。まことに申し訳ない。
授業をして,振り返って出し尽くし,さらに奮闘記でもう一回やって気力尽きておりました。 
実は既に2周目がはじまっている。そこを見すえながら,改めて1周目をふりかえってみたい。 

授業の「でき」に関する自己評価

まず,授業としては自分としては「まずまずのできだった」と思っている。何よりテレビ番組のような時間の緻密な管理がいる(というのも,他の学校との遠隔があり,それぞれの学校には次の時間があるため,「じゃあちょっと伸びたから次の時間のはじまりをずらそう」のようなことはできない)。そんな中で「ぴったり」終えることができたこともそうだし,構成も苦労した分,納得のいく授業の構成になったと思う。
実はこの「やさしい日本語の〈やさしさ〉とは」の授業はサイトとしても閲覧数が高いそうで,色々なところで着目されたそう。これは,そもそも「やさしい日本語」が理念的な普及をしがちだったり,実務的な研修になりやすいところに,「授業」という形で子どもたちと一緒にその意味や角度を考えていくこと自体が珍しいということもあったと思うのだ。もちろんそこには「広域に学校をつなぐ」という事業の面白さも加わっている。 

異なる学校・異なる学年が参加するからこそ…

ふりかえりのときには,学生をはじめとするスタッフの方から,別の学校や場所でどう見えていたかの話も多くあった。中でも印象的だったのは,小学生たちが授業の後半「加工業者さんの話し方はやさしくないと思う」から,実際のお話を聞いて「やっぱりやさしいと思う」ようになった変化を,少し大きな学年の子どもたちがやや客観的に「あいつら考え変わりすぎだ!」とつぶやいていたそうで,これは印象的だった。
授業自体に多様な学年や学校が関わる(実際,この授業には不登校の子どもたちが通う市の教育支援センターなどからもアクセスをしている)ようになることで,子どもたち同士がさまざまな距離感で関わり,その距離ゆえに多様なものの見え方で授業に関わっていることを知った。これは,広域交流型オンライン学習ゆえにおきることだし,またそれ自体がある種のインクルーシブな授業空間を,バーチャルな中で生みだしているのではないだろうかと思った。

「多文化共生編」広域交流型オンライン学習のおもしろさ

この「多文化共生編」は,僕も初めてだったのだけれども,事業の組織としてもこれまで「社会科」を中心にやってきたことから見ると,初めてのことがたくさんあったと思う。例えば,社会科で広域にオンラインで市内の小学校を「つなぐ」のは,市内の異なる「地域」と「地域」をつなぐことに,もともと教科の内容として意味がある。同じ東広島市でも学校のある地域によって「異なる社会」があるからだ。またスタッフの多くもその点に力を持った人がいて,そうした社会科の組織体として積み重なってきたことは多くあるはずだ。 
今回の「やさしい日本語」の試みは,まさにその点をうまく使っている所があって,さまざまな市内の「やさしい日本語」が使われているシーンをつなぎながらつくられていった。まさに社会科的な「やさしい日本語」の授業だったように思う。 
ただ,「広域オンライン」という試みはそれだけではないだろう。特に「多文化共生」という点で見ると,東広島市はたしかに外国からくる人の多い町で,その割合自体は愛知県のような場とも共通するところだ。しかし,歴史的な蓄積という点で見れば,東広島市の多文化共生の取り組みはほとんどはじまったばかりで,多くの市民にとって「未知」だったりすることも多い。地域と地域をつなぐということ以上に,「地域全体で未知を学ぶ・未知に挑む」ことが大切だったりもする。 

僕というある種の「異分子」(とはいっても社会科をよく知っている異分子でもある)の存在が何を生みだしていくのか,2周目にはそのへんも,考えて見たいところだ。 

この記事を書いた人
Ryosuke Minamiura
南浦 涼介

2023年の春に広島大学にやってきました。「先生」の仕事は23年目,大学の先生の仕事は14年目,広島大学の先生の仕事は2年目の古米のような新米です。授業や多文化共生の教育の仕事が大好きですが,ラーメンも好きです(最近控え中)。