アクティビティ

【みなみうら奮闘記vol.5】取材に行ってみた

2024.08.09

南浦 涼介(広島大学)

社会科の教材研究は「脚で稼ぐ」

「社会科の教材研究は脚で稼ぐ」というのは社会科の世界で先輩からよく聞く言葉だと思う。とくに,以前は現在よりもずっと「教材研究」をすることが華やかにあり,先輩から(授業実施以上に)授業づくりについて教えられることが多くあった。

僕も20代の頃「脚で稼ぐ」はほんとうに教えられた。一方あれから20年,自分自身が若干「社会科の先生」じゃなくなったのもあるから久しぶりというのもあるのだけれど,20年前に比べてコンプライアンスは厳しくなり,あのころのような「飛び込み」「駆け込み」のような発想で教材研究はとても難しくなった。

いざ、取材へ・・・!

もちろん今回のような事業としてならなおさら。取材も市役所,保育園,水産業者と多岐にわたる。スタッフの力でそれぞれのところとアポイントがとれ,いざ取材となった。

取材①:保育園の先生

保育園はもともと,うちの子どもが通っている保育園におねがいしたこともあって,(それがいいかどうかはわからないけれども)「保護者」だったこともあり,おねがいのしやすさがあった。取材も,(きっとかなり配慮をされたのだろうけれども)受けていただくことになった。ほんとうにありがたい(担任の先生に心から感謝)。実際,保育園の先生のアドリブ力はすごい。普段子どもたちと,その場で生みだされるものをつかいながら会話をしたり,物事を進めて行ったりしているはずで,いかんなくそれが発揮されていた。改めて教師は「演者」なんだなあと保育園の先生から感じたのだった。

取材②:市役所 市民生活課の担当者さん

市役所では,保育園とは打って変わって,「きちんと」の取材になった。会議室でまず,スタッフから趣旨の説明が丁寧になされ,その後,「やさしい日本語」による東広島在住の外国人(今回はうちの留学生)との対話のシーンの撮影になった。市役所の担当の方は,最初「うまくできるか心配で……」だったのだけれど,どうしてどうして,ほんとうに「やさしい日本語」だった。

というのが,日本語教育を半分専門の1つにしていることもあって,よく日本語教師の人がティーチャートーク(先生としての言語学習者への話し方)を耳にしているのだけれど,そこでは「文法」「語彙」がかなりコントロールされているのが特徴。ただ,市役所の担当の方の「それ」はもちろんそうした言語コントロールのものではない。でも,ほんとうに相手を見ながら話す,ジェスチャーを交える,「(その場所まで)一緒に行きましょう」と対話しながら促す,短く話す。そうしたことが自然とできているものだった。この市民生活課という場所が今,外国から来た人の窓口となっていることは事実で,きっとこの日々のやりとりの経験のたまものなのだろうなと感じる時間だった。

取材③・④:安芸津の牡蠣業者さんと早朝の牡蠣漁船

最後に,安芸津。東広島市の中で唯一海に面した場所で,この漁港の周囲は牡蠣業者が軒を連ねている。安芸津漁港から少し離れた風早という場所の近くの森戸水産が,3つめの取材場所だ。保育園や市役所と違って「やさしい日本語」という意味はうまく伝わるのだろうか……とかなり緊張する僕。まずは作業場の隅で話をすることになった。

社長さんは実は色々なメディアに出演している(ここの牡蠣は冬でなくても食べられるという改良を加えたブランド品で,メディアに引っ張りだこなのだ)。「なんでも聞いて?」と余裕の社長さん。ただ,説明をしていく中で,「そうだなあ……」と少し困惑気味。というのは,「いや,陸ではそんなに話さんのよ」と。そもそも牡蠣業だから,「話す」ということが少なくても大丈夫だそうで,「ちょっとした指示とかそういう感じかなあ」と思い出しながら話す。ちょっと外に出たところで実際にベトナムからきた作業員の若い人と,日本のベテラン従業員さんがいっしょに作業をしている。少し喋ることはあっても確かに,「業務で話す」という感じではなさそうで,もくもくとみんな仕事をしている。

おおなるほど……実際はそうだったのか……しかし,困った。こういうとき,これが通常の取材であれば,「そうなんですね,ありがとうございます」と言って引き下がることができる。ただ,事業や授業である程度決まってしまっていると,簡単におしまいにするわけにも行かない。むむむ……と思ってどきどきしながらさらに食い下がりながら,「仕事以外も含めて,どんな気持ちや感覚で話しているのかをもう少し聞きたい」と申し出た。そうして,少しずつ「疲れているのかな」と気づかいをする声かけを大切にしている話や,初めて技能実習生を受け入れた頃は,「ですます」を使って話していたのだけれど,それではうまく機微のこもったやりとりができないことを考えてあえて「方言」や「普通体」で話すようにし,その代わり端的に短く話すという形を心がけていったということを伺った。

なるほど! これはよくわかる。ここからも「やさしい日本語」というのは単に言葉を簡単にするだけの話ではないし,とはいえ,「思いを込めればいい」ということでもない,ということがよくわかる。簡単にすることと思いを込めることの限りなく間のところに「やさしさ」があるのだなと思うところだった。

よかった……こういう言葉を引き出せて。と,少し安心して,そして社長さんの「海に出る日に一緒に来ればもう少し話もするシーンがあると思うよ」とのありがたいおことば。ありがたい~!

ただ残念ながら,その「海に出る日」は残念ながら僕は授業日だった。そうしたことからスタッフの三井先生、若手の川本さんと院生の宇ノ木さんが取材に行ってくれることになり(これもほんとうにありがたい……),この日の取材は終わった。

「脚で稼いだ」成果を授業にいかす

後日,海に同行したスタッフの川本さんから「すっごい短かったです!」と映像の報告が来た。どれどれ……と見たら,「掃除掃除」とか「まだよまだ」など……ほんとうに短い!! いやー短い! 社長さん,思いを込めているんですよね,でもでも! と言い聞かす。

この短い言葉に「思い」がこもっていることが子どもたちはわかるだろうか……? いや難しいぞ……と逡巡。しかしこれが事実なのだからウソはつけない。ここから授業をどう作っていくか……腕の見せ所。

取材は揃った。そして事態は授業づくりにむかって急転していく……。

この記事を書いた人
Ryosuke Minamiura
南浦 涼介

2023年の春に広島大学にやってきました。「先生」の仕事は23年目,大学の先生の仕事は14年目,広島大学の先生の仕事は2年目の古米のような新米です。授業や多文化共生の教育の仕事が大好きですが,ラーメンも好きです(最近控え中)。