南浦 涼介(広島大学)
授業がなんとか終わったところで,このときのことを思い出してみたい。
(実際の授業の様子はこちらのページをご覧ください。)
授業の「実際の場面」ではそんなに四苦八苦しない
読者としては実は実際の授業本番で四苦八苦しているところを想像するのかもしれない。もともとこの連載がそういうコンセプトで設定されているからだ。
ただ,実際教師とはそういうものだと思うが,「実際の場面」ではそれほど四苦八苦することはそんなにない。とくに授業が計画だってできていて,見通しがある中で進むようなタイプの場合,その傾向は強い。また,本当の意味で「授業になれていない」場合はそうではないかもしれないが,授業そのものの感覚がないわけではないので,実際の場面で四苦八苦するという感じではなかったのだ。
ただ,やはり実際の授業がはじまって,子どもたちとの実際の対話がはじまると,あらためて「実際」だからこそ感じるものがある。これがおもしろいところだ。
いつもとは違う授業環境と「センセイ」
ホスト校となっている小学校の子どもたち。直接僕と向き合って話す。マイクを向けられる。これは普段にはない感覚であるはずで,担任の先生とは異なる「センセイ」といきなり授業で話すのはかなりめんくらっただろう。最初の「日本語をやさしく話すってどういうときがある?」というところでは,かなり子どもたちは緊張していた。「えっと,小さい子ども」というように,小さく短い反応でそれでもこちらを向いて(本来はカメラを向いて)話をはじめるのはとてもドキドキしただろう。
担任の先生との連携の必要性
実際,後から考えてみればこうしたところはもっと担任の先生との連携が必要で,担任の先生にマイクを回してもらうという方法もあるのだろうな,と思った。実際授業の中では後半のころになると担任の先生が機敏にマイクを回して発言を促し,それに僕ものっかりながら3者で進めて行くということができた。おそらくこうした形で子どもたちと担任の先生の関係を大切にした上で,そこに僕や草原先生が関わっていくということがいいのだろうなと思っていた。
「見えないこと」を委ねる大切さ
こちらからみた画面の向こうの小学校のクラスの様子は,オンラインということで実際にどういう動きをしているのかは見えないところもある。でも,そこでは先生方がそれぞれの間合いで発表を子どもにさせたり,お互いの学校の様子から「こっちもこのやりかたをやってみよう」のような動きがあったことがよくわかった。こういう先生に委ねる,子どもたちに委ねると言うことはとても大事。よく思うのだけれども,「教師はすべての世界を見通せていないといけない」ということでは決してない。本来教室の中では「見えないこと」がたくさんある。それをすべて把握しようと思う気持ちもわからないでもない。でも,それよりも信頼して委ねる,お任せする。その上で出てきたところから考えて動く。ということがよっぽど大事じゃないだろうかと,改めて思った。
委ねることで、うまれる授業
実はそのことは授業者が今回ふたりということもあって,南浦と草原の2名で進めて行ったというところもこの点は重要。当たり前だけれども,いくら緻密に打ち合わせても動きをシンクロすることはできない。むしろ方向性と相手の感覚を大切にしながらそれに委ねていくなかで,いい塩梅が生まれていく。実は僕も今回の授業で,最後にどういう出方を草原先生がするのかは知らなかった。でも,「みんなで『やさしい』の漢字を書いてみよう」という形で活動があったのはとてもいいなと思ったし,それでいけると思った。指導案には最後に,「みんなの周りでやさしい日本語が使われていそうな所はあるかな? どこかな?」というのがあったのだけれども,それよりも漢字で考えを交換するほうがいいやと思ったからだ。指導案を崩していくことはこうした教室を織りなすさまざまな人たちへの委ねの中でうまれてくる――今回もそういう感じがした。
ライブの世界と「外の視点」の重要性
もう1つ,その点で言えば,実はスタッフからは「指令」という形で付箋でさまざまな指示がやってきていた。いわゆるディレクター的な中で時間配分を指示するものだ。「5分押し」ということから「少し話が早い」などから(今回後者はとても多かったし,実際,ビデオを見てみたら少し話し方が早いなと僕も感じた)。ただ,やはり授業はそうした外側からは見えにくい内側の委ねからくるライブの世界はとても重要。時間のコントロールや話し方というのは,そこにある相手との関係性の中で決まってくることが多い(ただし,急いで言い繕えば,今回は「ZOOMの向こう側の教室」という自分も慣れない世界が広がっているので外の視点は大事だ)。
チームで授業を動かしていくということの中ではとても難しいものだけれども,お互いがお互いを委ねていく,信頼して任せていくということはとても大事かもしれない。
今回については,教室の中の子どもたち,担任の先生方,草原先生と,そして僕,この関係の中にはこの委ねの糸がしっかりと存在していたことは大きかった。この心地よい糸の中で時間は動き,そして時間ぴったりに授業は終わった。これは僕の力ではなく,僕の動きを信頼して委ねてくれた周りの人たちの存在ゆえだったことは間違いない。
授業を通じた気づきと次回への示唆
次回授業をするときは,こうした「委ね」感覚をもう少し早い段階から授業でできればいいなと思ったのだった。部活を終えたような気分の4時間目の終了のチャイムだった。
2023年の春に広島大学にやってきました。「先生」の仕事は23年目,大学の先生の仕事は14年目,広島大学の先生の仕事は2年目の古米のような新米です。授業や多文化共生の教育の仕事が大好きですが,ラーメンも好きです(最近控え中)。
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