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【みなみうら奮闘記2 vol.3】授業の背景にある考えかたと授業での言葉えらび

2025.02.14

南浦 涼介(広島大学)

さて,この第2弾の授業の根幹である「外国語が上手ってどういうこと?」の発想は,もともと社会言語学についての教養科目(いわゆる一般教養)の授業を大学でおこなっていたときに取り扱っていた概念が根底にある。

リンガフランカとしての日本語

「リンガフランカ(Lingua franca)」というもので,簡単にいえば,母語が異なる人同士が共通して用いる言葉を指す(もともとは「フランク語」あるいは「フランク王国の言語」を差しており,それが転じて「共通の言葉」という意味になったという)。このリンガフランカとしてもっとも議論されているのは,「英語」だ。実際英語を使う場面を考えると,学校の英語教育ではなんとなくアメリカやイギリスの人,つまり英語を母語とする人と話すことを想定しやすいが,実際はそうではない。むしろ英語を母語としない人同士が,お互いの言語を話せない場合に英語を使うと言うことのほうが,世間ではよっぽど多いのだ。例えば,日本語を知らない中国人と,中国語を知らない日本人が交流するときにまずえらばれるのは英語だろう。これを「リンガフランカとしての英語」という。なお,お互いの言語を知らない中国人と日本人の場合,英語の次に採られるのは漢字や漢文の可能性が強く,その点で漢字も書き言葉としての「リンガフランカ」だといえる。
日本語はどうだろうかというと,英語などに比べてみるとまだまだそれは「日本人と話すため」という感じが多い。しかし,実際外国の人が地域に増えてくると,こういうリンガフランカ的な状況は日本語の中でも出てくる。実際日本に住む外国人に話を聞くと,「日本人と話す日本語がいちばん緊張する」という。これはよくわかる話で,やはり英語で話すときもっとも緊張するのは「ネイティブの人に話すとき」だ。それは心の中で「正しく話さないと」「間違ってるんじゃないか」という気持ちが高まるのだろう。ノンネイティブ同士のときにあるはずの気楽さがなくなってしまうのだ。

正しさと適切さ,そして子どもにもわかるように…

こういうことから,私たちは外国の人と話すときに「正しさ」を大事にしすぎるよりもむしろ「適切さ」が大事で,相手を思いながら伝わるように話すことを大事にしていきたい。それは,日本の学校に通う子どもたちが外国語として話すときでも,外国の人の日本語を聞くときでも,同様だ。
実際にチラシをつくるときは,「正しさ」「適切さ」という対比が重要だけれども難しく,小学生でもわかるようにするための言葉えらびには,会議でもかなり難航した。最終的には「すらすら話す」という概念,さらに「適切さ」の言い換えは非常に難しいため,「話し上手とは〈   〉である」「聞き上手とは〈  〉である」として,子どもたち自身にむしろその概念を考えてもらうことになった。
そうして最終版のチラシは次のようになった。

この記事を書いた人
Ryosuke Minamiura
南浦 涼介

2023年の春に広島大学にやってきました。「先生」の仕事は23年目,大学の先生の仕事は14年目,広島大学の先生の仕事は2年目の古米のような新米です。授業や多文化共生の教育の仕事が大好きですが,ラーメンも好きです(最近控え中)。